アドラー式子育てが上手く行かない要素

アドラー心理学

アドラー心理学、少し前に流行りましたね。

筆者も大のファンで「嫌われる勇気」、「幸せになる勇気」、その他いつくもの関連図書に読みふけった時期がありました。「嫌われる勇気」に関しては5回は読み直したと記憶しています。

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大人としては大変勉強になりました。特に「課題の分離」の考え方には救われストレスをかなり軽減することが出来ました。

アドラー式子育て

ところが、やはりこれはそのまま子育てに割り当てることができない部分もあります。

アドラー心理学には様々な考え方や教えがありますが、今回は

  • 課題の分離
  • 褒めてはいけない、叱ってもいけない

の2つだけにフォーカスして話をしたいと思います。

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課題の分離」については、子育てに活用するシーンとしては、

宿題をやらない我が子にイライラすることはない、まるで自分ごとのように捉えヤキモキしても意味はない。宿題をやるかやらないか、そしてその結果その後どうなっていくのかは、あなたではなく、あなたの子供の課題です

みたいな感じですね。

これは比較的有効と筆者は捉えています。

必要以上に介入しない事で結果として子ども自身が自分の意志で行動を起こしたという事が幾度があったためです。

一方で「褒めてはいけない、叱ってもいけない」はなかなか難しいと感じています。

捉え方の問題かとも思い何度かアプローチの仕方を変えてもなかなか、子育てはそれでは成り立ちませんでした。(あくまでこれは筆者のケースであり、勉強不足な部分も多分にあるので一例として。)

褒めて伸ばそうとすることは、「褒められなければ何もしない子供」に育ってしまう、

叱ることは「叱られたくないから悪いことをしない子供」に育ってしまう

つまり、褒められなくなったら、何もせず、叱られ無くなれば悪いこともするという側面を持っている

と多少違うかもしれませんが、概ねこのような内容だったと理解しています。

では、

「見てみて~、算数のテストで100 点をとったんだよ!」と笑顔で近づいてきた子供に褒めてはいけないからと「そうなんだね、算数が得意なんだね」では、味気なさすぎる。いや、ある意味褒めるという定義にどこまで含めるかですが、「得意なんだね」、これも十分に褒め言葉ではあります。

努力した経緯を認めてピックアップするような表現も形を変えた褒めですし、飴玉やお小遣いを上げることと細くはありますがつながっているかと思います。

「偉いね。ではなく、すごいと思うよ、嬉しく思う」なんてTIPSもなにかの本に載っていましたが、詭弁。。ではなかろうかと思ってしまいます。

そう、やはりしっかりと褒めてあげることは子育てにおいて大切です。

絵に例えると、無人島で、趣味で絵を描き続ける人がいたとするとそれは正真正銘、誰から褒められることなく自身が満足すればよく思えます。ですが、人のいる社会で他人に絵を全く見せることなくしまい込んでいる画家はどれほどいるのでしょうか?勿論自信がないなどの理由で世に出していない方もいると思いますが、上手ければ出す人がほとんどですよね。やはり、他者の評価は無理に避ける必要はない要素です。

一方で「叱ってもいけない

こちらには非常に共感を覚えます。

怒りをぶつけて叱ることは真に相手のためを思っての行為ではない

叱る必要はない、しかし幼年期においては知らないことを教えてあげることは必須(例えば横断歩道の渡り方を教えてあげなければ、死んでしまいます)

なるほど、この「知らないことを教える事が、全てでよい」という思想は非常に親としてなにかの説明を子供にしようとした際の要否の判断基準になり良いです。

最後に

こうして振り返ってみると、アドラー心理学は「褒めてはいけない」以外は、しっかりと子育てをする上でも活かすことの出来る要素だと思えます。